波佐見講堂
波佐見講堂
昭和12年に建てられた希少な大型木造瓦葺洋館。今日最後に残された九州一の木造公共施設として貴重な存在である点が高く評価され、平成22年(2010)1月15日付けで、国の文化審議会の答申を経て国登録有形文化財となった。
約2年の時間をかけて、耐震改修工事を完了し、先月、改修記念コンサートが、開催され、多くの方々に再会の喜びを与えてくれました。この先、50年、100年もの未来まで受け継がれていく波佐見町の宝として君臨していく建物です。
西ノ原商店街
昭和初期に中尾山から窯元が焼き物工場を井石地区に建設し、分業生産業の初期の時代を作り出した。その流れの中、西ノ原地区に商店街が構成され陶器生産業の生活拠点と化していった。昭和34年には、「波佐見焼陶器祭市」が西ノ原街道で始まった。昭和56年陶器市会場がやきもの公園に変わるまで、毎年の陶器祭りで西ノ原商店街も潤いを見せた。
波佐見陶器まつり
波佐見陶器まつりは、皇太子殿下(現天皇陛下)の御成婚を記念して昭和34年4月に、波佐見焼陶器市の名で第1回目が開催され、その後平成2年に波佐見陶器まつり改称されました。400年の歴史と伝統をもつ波佐見焼は、江戸時代伊万里焼の名で販売されていましたが、明治33年(1900)国鉄有田駅ができると、有田焼の名で販売されました。
この陶器まつりは、波佐見焼の名を広く宣伝し産地の発展を図るとともに、波佐見焼を愛用していただく感謝セールとして始まったものです。高速道路(西九州自動車道路)の開通とともに、平成2年からは4月29日から5月5日までのゴールデンウィークに会期を変更しやきもの公園を主会場として開催しています。
福重邸(旧幸山陶苑)
波佐見焼の特色である大量生産を行うための大きな特徴として、成形、型起こし、絵付け、窯焼とそれぞれに作業を発注する分業体制を取ることが挙げられますが、昭和元年に八代目、福重武次郎によって西の原へ移築されたこの福幸製陶所には、「事務所」、「細工場」、「絵付け場」、「釉薬精製所」、「登り窯」があり、 敷地内ですべての生産が可能という大変貴重な製陶所だったのです。
日用食器としてその時代の人々の生活にあわせて変化し、暮らしによりそう波佐見焼。
製陶所として使用された西の原の建物も、当時の面影を残しながら現代の感性を備えた空間として、いまも生き続けています。